「こんな状況は現実にありえないでしょ。出張中でも連絡くらいできるやん」
「歓迎会の案内? 予定は空いてそうだし参加にしておくか?」
「顧客クレーム? 放置しているのは、さすがにマズいよな。誰かにお願いするか?」
「売上対策? いやいや、そんなことこんな短時間じゃアイデア出てこないでしょ。前任者が休職しているんだから、上司のあなたが何か手を打たないといけないでしょ」
「案件多すぎない?」
インバスケット演習は人生で、3回受けたことがある。いずれも外部機関が実施した研修プログラムの一つとして受けた。初めて受けた時は、何をする試験か全くわからなかった。たくさんの案件があるし、どの案件をまとめて、何を対策として書いたらいいのかわかなかった。半分パニック状態で、気づいたら試験が終わっていた。この試験は明確な点数がつくわけではなく、研修の最後に採点者によるフィードバックを受けた。
「部下への指示の出し方が粗く、自ら深く掘り下げる姿勢が不足している」
「物事の優先順位が付けられていないです」
予想通り残念な講評だった。ただ、「やっぱりそうだよね。とりあえず研修が終ってよかった」といった感じだった。
数年後に、特に対策することもなく2回目の試験を受けた。
どのような試験かはわかっていたので、とりあえず全ての案件に対して回答は書けた。ただ、やはり全くできた気がしなかった。
「多くの事案に対処しているので、精力的に取り組んだ様子が窺えます」
「部分的な情報のみで判断し、大局的な見方が不十分です」
「リスクや事態の先行きまで視野を広げて考察されていません」
全ての案件に対する回答を書いたことだけは評価されているけれども、案件の深掘りができていないらしい。ただ、これもただの研修だったので、結果は気にならなかった。
そして、また数年が経った。
ある日、人事部から、次のグレードへの昇格試験の対象者となったとの連絡を受けた。
昇格試験の内容を調べると、「外部機関が実施する研修で、ある一定以上の評価を取ること」というのが基準の一つにあった。その研修では、グループディスカッション、面談演習、インバスケットなどの演習をさせられ、総合的に点数をつけられるとのことだった。インバスケットに強い苦手意識を持っている私は、思わず「うわ。インバスケットあるし。最悪や」と思ったことをよく覚えている。
さすがに何か対策した方がいいと思い、周りの人に対策方法について聞いてみたが「インバスケットの対策? そんなんないんちゃう?」という回答が返ってくるだけだった。
「まあ、そういう回答になるよな……」と思いつつも、
「これまでと同じようなグダグダな結果ではマズい。なんとかしないと……」
そう思って、Webで少し調べると、インバスケットのトレーニング教材や添削サービスがあることがわかった。しかし、結構いい値段だったので、ここまでのお金を払うことには躊躇した。妥協点として、インバスケット演習の本を買うことにした。
研修まであまり時間がなかったので、早速問題を解いてみる。
これまでの2回の試験と同じように、案件には全て目を通して、とりあえず回答だけは書くことができた。やはり、あまりしっかりと書けた気がしない。そして、本の解説を読む。
「うーん。やっぱり、全然書けていないな。てか、あの時間で、ここまで書くのは無理じゃないか?」
なんとかしたいものの、いい対策が思い浮かばなかった。仕方ないので、なぜ書けないのか考えてみた。
「読まないといけない案件が多いんだよな。各案件が全て独立しているわけではなく、結びついているものもある。上手く関連付けて、まとめて処理できればいいけれども、時間が足りない」
「なにから処理していけばいいのだろうか。やっぱり、顧客対応からだよな。次はハラスメント系かな。処理の優先順位を決める基準はどうしたらいいんかな」
「今後の方針とか、売上対策とか、ぱっと思いつくわけないよな。ただ、役割的に何か提案しないといけないことになっているしな。でも、そもそも対策のアイデア自体がわからないだよな」
と、ここまで考えた時、「どんな案件が出るかはわからないけど、会社で発生する問題はある程度決まっている。そして、物事の優先順位の決め方もある。だったら、事前にある程度パターン化しておくことができるかも」と思った。
要するに、インバスケット演習に回答するプログラムを作って、事前にインストールしておけばいい、と考えた。そこから、「案件をどう分類するか」、「何の案件から処理していくのか」、「対策方針は何があるか」を、普段の仕事を参考にして決めることにした。
「できた。まあ、こんなものかな」
次の日、作ったルールを頭に入れて、インバスケット演習の本をもう一回解き直してみる。2回目というのもあるが、問題の解き方を決めている分、ずいぶんと解きやすくなっていた。良い回答とは思えないが、少しはマシになっている気がする。
そして、研修当日。
インバスケット演習が開始した。まずは、ざっと案件を読んでいった。内容は、よくある設定だった。
前任者が急にいなくなって、その間、上司や部下への対応が全て止まっている。そこに、自分が後任として異動となった。でも、明日から1週間海外出張で、誰とも連絡が取れない。その間、業務が進むよう、適切に処理しなさい。
いつも通り、無理な設定である。
「インバスケット演習の本よりも、内容が複雑で、難しい気がする」
「この案件とこの案件を結び付けて処理した方がいいかな」
「最初に処理するのは、顧客対応からだな」
「今後の方針はやっぱり思いつかない。事前に決めた通り、すぐに思いつくけれども、一応筋が通っている方針を立てることにしよう」
頭をフル回転させているうちに、120分があっという間に過ぎ、試験が終了した。感触としては、よく書けたとは思えない。ただ、これまでの2回の試験と比べると、随分とマシな回答になっていたと思う。
後日、研修のフィードバックレポートが返ってきた。
「事象の全体像をとらえて、情報を関連付けて、優先順位をつけて処理できています」
「業務運営においては、段取りや手はずを整えて、着実な運営ができています」
「一方で不確定な場面では、状況確認が先行して、無難な活動となっている」
事前に作っておいたルール通りに処理した結果、思っていた通りの結果が返ってきたという印象だった。まさにプログラム通りといった感じだ。
情報処理のスピードが高かったり、原因分析の力が優れていたり、戦略の立案の力があったりすれば、インバスケットは問題なく対応できるだろう。でも、これらの力はちょっと対策したところで、すぐに身に着くわけではないし、そもそも昇格試験の対策として取り組むことではないと思う。それならば、試験だと割り切って、「事前に解き方のルールだけ作っておいて、それに従って作業する」くらいで臨んだ方が、効率よくほどほどの結果が得られるのではと感じた。
このページで出てきた本
- 管理職のためのインバスケット演習